ACM劇場
さんせう太夫

作・演出 長谷川裕久
出演 矢口まみ/藤井智美/他
水戸芸術館
1月31日まで

●葦葉克馬

人買いにさらわれ母と離れ離れになった安寿(見市愛)と厨子王(矢口まみ) は、さんせう太夫(藤井智美)という金儲けにしか頭のない男のもとに売られて いく。幼い姉弟には、潮汲みと芝刈りという苛酷な仕事が与えられるものの、ふ たりは互いに支えあい、この苦難を乗り越えていく。そしてある日、弟と同じ芝 刈りとして働くことを許された安寿は、隙を見て廚子王を逃がすと、泉に自らの 身を沈めてしまう。

お馴染みの「さんせう太夫」の物語だが、ストーリー(というか台詞)は主に 森鴎外の「山椒太夫」にのっとっているものの、ACM劇場の「さんせう太夫」 は、そのオリジナルである説教節の再評価がメインだ。作・演出の長谷川裕久は パンフレットで、鴎外が小説化する際にそぎ落としていった説教節の悲劇性に触 れ、演劇という観る=観られるという関係を成り立たせる要素としての悲劇性を 再構築するという姿勢を説明している。彼の意図をよく現しているのが、先に書 いたストーリーの続きとして、鴎外の小説にはなかった復讐の物語が復活してい ることだろう。オリジナルの説教節にあるように、都に逃れた厨子王はやがて国 守となり、さんせう太夫のもとに復讐に現れるのである。彼は太夫の息子三郎に、 三日三晩父親の首を挽かせるという残酷な方法で、大願を成就する。これは、三 郎の焼きコテによる安寿と厨子王に与えた折檻が、母から授かった守り本尊のご 利益で、身を救うことが出来たという鴎外の小説にもあったエピソードとちょう ど対をなす位置付けにあり、説教節らしさ、つまり仏教説話らしさを引き立たた せるためにはなくてはならない関係にあると言える。

この他、盲目の語り部である瞽女の語る物語として括るという重構造の物語も 目指しているが、こちらはあまり成功していない。それは「さんせう太夫」のも うひとつの顔である“母”の物語が書ききれていないせいだろう。母と子の悲劇 ということで言えば、小説のような終わり方のほうが、涙を誘う気がするがどう か。

さて、今回は女優だけを起用した作品ということで、少女歌舞伎のような哀感 を誘う一方、奴婢を演じたコロスたちの何人かには、もっと腰を落とせと思わず 叫びたくなった時があったことは書いておこう。(93年1月15日マチネ、1 h30)


[Back to 「PLAY BOAT」HOME]「PLAY BOAT」ホームページへ
[Back to 「初日通信」データベース]「初日通信」データベースのページへ