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私はミチル

作・演出・出演 北村想
主演 金原祐三子/佳梯かこ他
本多劇場

●柿おとし

不特定多数の人間が、それぞれの思いを抱きながら集まってくる公園。北村想 の新作「私はミチル」は、彼の公園論とも言うべき作品だ。物語は、宮澤賢治の 詩集「春と修羅」の一節「永訣の朝」から始まる。賢治が死の床にある妹に贈っ た愛情溢れる詩である。このように「私はミチル」は静かな幕開けだが、作品自 体は公園で起きる出来事が寓意的に描かれ、かなりしたたかな仕上がりだ。賢治 の詩のイメージは、この物語の主人公、金原祐三子扮するミチルと事故で死亡し た兄に投影されているわけだが、その関係はこの公園という場にいる限り、歪曲 した事件へと変貌していってしまう。公園に集まる人々も何だかナマ臭い。女子 高生とヤリ放題だとウソ吹く体育教師(神戸浩)かジョギングをしていたり、サ ラ金の取り立て屋から逃げている男たち(蟷螂襲、小林正和)がいたり、売春詐 欺の母娘(田辺文美、田中ちさ)がいたりといった具合い。失業中の俳優(田井 順三)も草笛を吹く中年男(伊沢勉)も、それぞれ人間の負の部分を見せて、公 園を通りすぎていく。さてミチルはというと、公園で知り会った先の売春詐欺の 娘と噴水の絵を描く女(佳梯かこ)とともに、未明の公園で噴水に隠されたメッ セージを知る。その噴水は、設計師だった兄の残したもので、夏至の日の朝日を 受けるときれいに眩くのだった。北村想は、こういったメルヘン的な場面をクラ イマックスに置きながら、極めて現実的な終わり方をする。それは、ミチル以外 の公園の人々がそうであるように、ミチル自身の物語も、兄との中を疑われた上 の夫殺しという人生の負の部分を見せるのだ。宮澤賢治の詩を冒頭に持ってきて、 ユートピアと現実の狭間を描く。かなり大胆な構成で、北村想の現実主義的な面 が強く出た作品と言えるだろう。それだけに評価が別れそうだが、ラストは唐突 な感じが強い。役者陣は、みんないい味を出していて、特に中年男の伊沢勉、ダ メな男の小林正和は見るだけで味がある。(91年4月27日マチネ、2h)

■MODE「ぼくの伯父さんの会社の人事」は、コント集みたいになってしまっ た。後半持ち直したが、それでも不満が残る。川村毅の映画「ラスト・フランケ ンシュタイン」は、演劇的手法が盛沢山だが、映画でしか表現できない映画的な 映画に仕上がっている。テレビ的な映画が氾濫する中で、映画的な映画であるこ とを評価したい。


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