青山劇場
ZEAMI
作・監修 山崎正和
演出 梶賀千鶴子
出演 松本幸四郎/毬谷友子他
青山劇場
9月23日まで
●葦葉克馬
しまったマシンに向かって一心不乱に原稿を書いていたら、30分遅刻してし まった。すでに世亜弥が登場し、コロスとの群舞になっている。とは言うものの、 この作品の原作である「世亜弥」を見たことのある身としては、それほど重要な 場面はなかったはず。気を取り直して、最後まで見る。見終わって思ったこと。 これが、なんでオリジナル・ミュージカルとして誇れる作品なのだ?。
今回の公演と同様松本幸四郎の主演で、上演されたオリジナル版はもちろん、 ミュージカルではなかったが、南北朝の時代の芸人たちに取材した作品だけに、 歌、踊りの要素は少なからずあって、このようなミュージカル化は、さして不思 議はない。しかし、もともとこの作品が持っている、エンターティメントとは相 容れない堅苦しさをそのまま残して書き直しているものだから、どこか後ろ寒さ を感じさせる仕上がりになってしまっている。誤解されては困るが、これはあく までも作品の問題であって、大変素晴らしい歌唱を聞かせてくれた松本幸四郎以 下の俳優陣をとやかく言うつもりはない。オリジナル版が、上演された時、確か 「初日通信」で触れたと思ったのだが、どうもバックナンバーを眺めてみると、 載っていない? 「劇場あらし」だけで、コメントしたのかな。確認が取れず、 申し訳ないのだが、その時に感じた問題点は、作家の山崎正和の学者としての思 い込みを押し付けられては困るという点であった。確かに、能の大成者である世 亜弥と時の権力者であり、彼をバックアップすることで能の大成にも影響を与え た足利義満との関係というものは、非常に面白い題材だ。しかしそれを修飾すべ き筈の、人物描写の何と拙いことか。唯一、奔放に生きる世亜弥の妻として、あ るいは将軍義満の影であった世亜弥の、これまた影として生きた椿の人生が見え ただけで、他の重要な役割を担う筈のふたりの女性である、将軍の愛人、葛野の 前と芸人の萩については、書き込みが足らなくて観客席にいる側として、感情移 入をする前に去っていく感じだ。萩が、桔梗、楓と母から娘へと代変わりするこ とで、困難な時代を生き抜いていく趣向も、単に図式化しただけという印象が強 い。今回のミュージカル化に当たっては、椿さえもが図式化されてしまい、作品 自体の面白さはどこにもなくなってしまっているぞ。また、今回の作品に限った ことではないのだが、ミュージカル化にあたって、どうして総てが綺麗で豪華な 舞台になってしまうのだ。この作品で象徴的なのは、コロスの扱いで、芸人たち、 あるいは幕府の兵を演じるにせよ、なぜか優等生的なダンスになってしまう。い ずれにしても、本来は破壊者であるべき役柄なのだから、荒々しいイメージがな くてはならない。そういったまず単純なところから、オリジナル・ミュージカル に挑んで欲しいものである。どうやら松本幸四郎の歌唱力、その幸四郎と互角に 渡り合う風格を身に付けた毬谷友子のスター性、バレリーナ床嶋圭子の意外なセ クシーぶりを楽しむしかないようだ。(91年9月6日ソワレ、2h20+休憩 20)
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